『動的平衡』第2部を読んで、病的な健康志向について考えてみた。
病的な健康志向
病的な健康志向というべき、本末転倒な症状が蔓延していると思う。
コラーゲン配合の化粧品、睡眠補助としてのトリプトファン大量摂取など、いわゆるサプリメントとして無意味な錠剤・化粧品が大量に売られている。
こうした「健康食品」や「化粧品」は健康の巨大な市場の要請で生み出されている以上、原因は消費者・生産者の双方にあると言っていい。
バランス感覚のない消費者
私も100円のものと150円のものが並んでいれば、100円のものを買う。しかし、その差が、それで終わるかどうかは分からないように思う。つまり、時間を先に伸ばして考えると、50円の今の得が未来永劫にわたって得であり続ける保証はなく、逆に損なわれている何かがあるかもしれない。今、私たちは、食に対する、そうした時間軸に沿って遠くを見渡す「遠近法」を失っているのである。
『動的平衡』
中学生の息子の塾選びを考えてほしい。塾Aは月謝4万円、塾Bは2万円。何ヶ月で偏差値がいくら上がる等、どちらも同じような効果を謳っているとする。
あなたは「安く済んで良かった」と小躍りして塾Bを即決するだろうか?
少なくとも、何か裏があると考えるのではないか。
実際に通ったママ友に体験談を聞くくらいするだろう。
でも、同じ姿勢を食品に対して持つ人は少ない。100円、ときには10円の差を歓迎し、その裏で何が削られているのか考えない。私を含め、そういう人が多いように思う。
高いものほどよく売れる
食品が「安いものほどよく売れる」のに対し、「高いものほどよく売れる」業界がある。美容と教育だ。
高いものほどよく売れる背景にはブランドの論理がある。
ルイ・ヴィトンのカバンを想像してほしい。
銀座のルイ・ヴィトンの旗艦店で1つだけ1万円を切る値付けのカバンが売られていたとする。あなたはすぐ手を伸ばすだろうか?
訝しがって買わないか、少なくともこの安さには裏があると考えてスタッフに色々と質問するのではないだろうか。
このように、ブランド商品には「何か理由があって高い」という通常の思考が失われ「高いのだから何か理由があるはずだ」という原因と結果の逆転が起こる。
美容分野と教育分野では特にこのブランドの論理がはたらきやすい。
「理由」を求める姿勢が、バランス感覚を養う
盲目的に安い商品を求めがちな食品分野においても、ブランドの論理によって高い商品を求めがちな美容・教育分野においても、高い商品には「なぜ高いのだろうか」と問い、安い商品には「なぜ安いのだろうか」と問う姿勢が必要だ。
マクドナルドの商品が安いのは牛肉を添加物漬けにして長期保存を可能にしているからか?それとも、物流と在庫管理を極限まで効率化しているからか?あるいは、人件費を徹底的に切り詰めているからか?
バーガーマニア*1の商品がマックに比べて高いのは有機野菜と有機野菜で育った牛肉だけを使っているからか?その日に仕入れた新鮮な野菜だけを使って、余った野菜は捨てているからか?あるいは、アルバイトに賃金を多く支払っているからか?
高い理由があなたが許容できる理由である場合、高い商品を買うべきだ。許容できない場合、安い商品を買うべきだ。
シンプルに考えることが、バランス感覚を養う。
知識のない消費者
支出のバランス感覚の欠如のほかに、健康に関する基礎的な知識のなさも健康病に拍車をかけていると思う。
『動的平衡』で筆者は特定のタンパク質の欠乏をそのタンパク質を摂取することで埋めようとする愚かさを書いている*2。
医者との個人的な場では、こうした意味のない健康食品を笑う会話を頻繁に聞くことができる。医師になる必要はなく、少し基礎的な本を読むだけでいい。
本を読むのが億劫なら、コラーゲン配合の美容液を買う前に、店員に「コラーゲンは肌から吸収されるのですか?」と聞いてみよう。
誤った知識は売れ、正しい知識は売れない生産者
効果のありそうな健康食品や化粧品を量産する生産者サイドには、利益を上げなければならないという単純な事情がある。
実のところ効果はないのだが、効果がありそうなパッケージと宣伝で商品を売れば利益が出る。
一方で「そんな商品に効果はない!」と正しいことを宣伝しても(このブログのように)コストはかかるが利益は出ない。
知識がない分野で生産者サイドの嘘を看破する
つまり私たち消費者は初めから不利な立場に立たされている。
私たちは知識がない分野では生産者サイドから効果効能をひたすら強調される一方、その効果を疑問視するような情報には触れられないからだ。
これについて、ニコラス・タレブが『反脆弱性』で面白いことを書いていたので紹介する。
母なる自然がすることは、正しくないと証明されるまでは正しい。人間や科学がすることは、不備がないと証明されるまでは不備がある。
『反脆弱性 下』
この法則を採用するのも一つの方法かもしれない。
私たちの身体は原始時代から変わっていないから、何か新しい健康法が流行り出した時は、 まず「それは原始時代から変わっていない私の身体にとって自然だろうか」と考える。
そうすれば少なくとも飢えが日常だった頃から変化していない身体にビタミン剤とか水素水とかを毎日放り込む気にはならないだろうから。
紹介した本
『反脆弱性』は追ってレビューします。
2018/11/24追記 レビューしました!
ニコラス・タレブ『反脆弱性』書評① 反脆弱性とは - 東京の井戸