福岡伸一『動的平衡』を読んでいる。まだ第1部しか読んでいないけれど、思うところがあったので書こうと思う。
印象に残った箇所
太字は管理人による
胎児期、脳ができ始めるとき、神経細胞は四方八方に触手を伸ばして手当たり次第連結を作り出し、できる限り複雑な回路網を作り出す。もともと準備されるのはここまでである。
その後、母胎からこの世界に生まれ出ると、この回路網は「刈り取られて」いく。環境に晒されて、さまざまな刺激に遭遇すると、その時に使われる(つまりよく電気が流れる)回路は太く強化される。逆に、使わない回路は連結が切れ、消滅していく。このようにして、私たちはこの多様性に満ちた世界と折り合いをつけていくのだ。
少なくとも次のように言えると思うに至った。「私たちを規定する生物学的制約から自由になるために、私たちは学ぶのだ」と。
つまり、私たちが今、この目で見ている世界はありのままの自然ではなく、加工され、デフォルメされているものなのだ。
よく、私たちは、脳のほんのわずかしか使っていないなどと言われるが、実は、それは世界のありようを「ごく直感的にしか見ていない」ということと同義語だ。世界は私たちの気がつかない部分で、依然として驚きと美しさに満ちている。
勉強が私たちを自由にする、とは
私の理解の未熟さを承知の上で、あえて福岡さんの言葉を翻訳するなら、「全く勉強をしなければ人間は限りなく動物に近い」ということができると思う。
二つの点と一つの点が特定の配列に並んでいると何となく人の顔に見える、というように、私たちの脳は決して公平に世界を記述していない。そしてそういう不公平さは、私たちが動物だった頃からほとんど変化していない。
私の人生を変えた、「トレードオフ」という概念
ひとつ卑近な例をあげたい。私は中学生のときに「トレードオフ」という概念と出会った。
トレードオフとは大雑把に言えば「この商品を買うとあの商品を買えない」というような関係をいう。
実は、世の中にはトレードオフが満ちている。単純なオンとオフに見える選択が、実はトレードオフだったということも多い。
例えば昼ご飯を食べるか食べないか迷っているというのは、一見1か0かの関係に見える。だがその裏には数多くのトレードオフが隠されている。
昼ご飯のトレードオフ
昼ご飯を買うことにお金を使うか、他のことに使うか
昼ご飯を食べるか、我慢して仕事を終わらせるか
同僚と昼を食べる楽しみを取るか、仕事を終わらせて早く帰る楽しみか
この概念を知ってから、私の世界は大きく色を変えた。
それまでは緩慢と、恋愛やゲームに明け暮れていたのだが、その裏側で切り捨てられている可能性まで思いが至り、自分は今何をすべきか、常に想像力を巡らせるようになった。
受け手の意識が変われば、言葉の意味も変わる
新しい概念や考え方を知って想像力を手にいれると、同じ言葉すら違って聞こえる。
以前の記事で書いたアーノルド・ベネット『自分の時間』も、トレードオフという概念を知らなかったらほとんど心に響かなかった可能性が高い。
今1時間を無駄にするということは、1時間を捨てる以上の意味がある。
その1時間で他にできたかもしれない可能性をも捨てることになるからだ。
本好きの人ならば、何年か前に読んだ本を読み返したとき、全く違う感想を抱く経験があると思う。それも、新しい見方を得て自分が変化したということなのかもしれない。
紹介した本
第一部以降は、追ってレビューします。