東京の井戸

慶應通信で学ぶ20歳の、学びと読書の記録。

学校不要論

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学校という場を設け、最長16年間の「通勤」を強いる必要が、本当にあるんでしょうか?

 

ついぞ学校に馴染めなかった私

この記事はブログを開設した時から書きたかったものなので、いずれこのブログが日本を代表する人気書評・オピニオンブログになる前に書いておこうと思います。炎上しそうなネタですし。

私には3つ嫌いなものがあります

私には3つ嫌いなものがあります。

1つ目は満員電車。満員電車に乗ると(といっても人生を挙げて回避してきたので数回しかありませんが)、文字通り息が詰まります。

最後に乗ったのは半年ほど前ですが、隣に不快な音を立てながらガムを噛むバンドマンみたいのがいた時には、免疫細胞が死滅していくのを感じました*1

高校の時、満員電車に似たイラストを世界史の教科書に見つけました。16世紀のスペインについて書いてあるページで、説明には「非人道的な扱いで輸送される奴隷」。

あれに毎日、何十年と乗っている人々には本当に頭が下がります。

そういえば、「満員電車ゼロ」の公約を掲げていた緑のおばさんはどこへいったんでしょう?

だいたい、「満員電車」なんてかったるい名前にしているから、真面目に対策する気も起きないんでしょうね。「今世紀最悪の人権侵害」とか「痴漢の温床電車」とか「現代の奴隷船」とかを公的な名前にすれば、鉄道各社大慌てで対策するんじゃないでしょうか。

で、嫌いなもの2つ目がウニ。魚介類の。これは個人的な趣向なので何もいうことはありません。ウニ漁師さんごめんなさい。食感がどうしてもダメで。

嫌いなものラストが学校です。今日は学校について話します。

 

だんだんと馴染めなくなっていった学校という小社会

さて、私が初めて学校と名のつく組織に入ったのは2004年の小学校入学でした。当時はいわゆる「ゆとり教育*2」の終わりかけで、5年生・6年生と教科書に加えて薄い追加教材が配られるなどして、現場が混乱していたのを覚えています。

思えばこの頃から中学受験塾をサボり始めたり、学校不適合者の兆候が出始めていました。

ただ、中学までは何となく「行くものだ」という意識があったので惰性でほぼ休まず通っていました。中学受験で運良く自由な校風の学校に引っかかり、私服通学で校則がほぼ無いなど、だいぶ恵まれた環境だったことも幸いしたと思います。

転機が訪れたのは高校に入ってからでした。

高校でリトルいじめ*3みたいなものを受けてから、何となく「なぜ学校に行く必要があるんだろう?」と考え始めました。いじめ自体は律儀に粉砕したんですけど、それまで惰性で何となく通っていた学校について考えるきっかけを得てしまったんですね。

それからは堰を切ったようにサボるようになりました。まるで哲学に取り憑かれた人が急速に社会性を失っていくみたいに。

高校は何とか出て大学受験のため浪人、思うところあって今は起業し、同時に通信制の大学に通っています。めでたく小学校から企業就職まで連綿と連なる「定時出社コース」から離脱したわけです。

 

学校は社会に出る訓練である。ならいらなくない?

さて、そんな人生を歩んできた20歳の私が言いたいのは、一言で言うと「学校、なくて良くない?」と言うことです。といっても、学校を全部なくそうというわけじゃありません。学校はあくまで選択肢のひとつとして残し、他にも様々なオプションがあっていいと思うんです。

そもそも学校、ひいては子供という期間は、多かれ少なかれ社会にでる訓練の期間です。もう終わりかけてる平成という時代は社会が様々な意味で大きく変化した時代ですよね。学校制度が平成どころか昭和のままってどうなのよ?

学校がどんな訓練をしているのか少し見てみます。

 

学校の訓練1:定時出社に定時退社

まずこれです。何を差し置いてもこれ。私が最も苦手なのもこれでした。

明治政府が全国に尋常小学校を配置した頃、特に農村では「時計」が全く普及していませんでした。

朝陽が昇ると同時に起き、暗くなったらご飯を食べて寝ていたんですね。

でも尋常小学校が配置され、子供は午前中だけでも決まった時間に通わせなきゃいけなくなった。そのようにして、だんだん時計と標準時が普及していったわけです。

小学校は日本を津々浦々にまで近代化する尖兵だったんですね。

昭和に入ると、定時に決まったことをする訓練を十分に受けた国民は次第に軍隊として動員されます。戦争の激化にともなって、徴兵された兵隊さん以外にも勤労動員などによって全ての国民が動員されました。この「集団力」がそのまま、大きな人口規模と相まって戦後の経済成長の原動力となった、というのは池田信夫さんの受け売りです。

さて、私には現代において定時出社と定時退社がどれほど有効か疑問です。

もちろん有効な職種もあるでしょうけど、まったく有効でない職種もある。学校という場で強制的に訓練するべきことか、甚だ疑問です。

 

学校の訓練2:様々な科目のお勉強

科目の勉強も、もちろん主要な訓練の一つです。

この記事では各科目の問題点はあえて触れません。でも多くの科目を決まった範囲こなす、というやり方は「特定の科目だけ突出した成績を上げる子」に対し、苦手な他科目に多くのリソースを割かせる、という特徴があります。

これってどうなんでしょう。

私の同級生に、石が好きで好きでたまらない男がいます。彼は高校で地学部に入り、暇さえあれば実際に石を取りに方々へ足を運んでいたようです。その甲斐あって彼は地学オリンピックの世界大会に出場、国立大学に現役で推薦入学を決めました。

高3の頃、彼が英語の成績が伸びないと悩んでいたのを覚えています。国立大はどこも英語の試験が厳しいので、センター試験しか利用しない推薦入試じゃないと浪人しそうだ。しかしそのセンター試験も難しい、といって悩んでいました。

こういう特定の分野に才能と努力を集中できる人に、不得手な科目の学習を強要することが本人や、ひいて社会のためになるとはどうしても思えないのですが*4

 

学校の訓練3:友人関係や集団生活

まず、友人関係や集団生活を「訓練」できるという思想が嫌いです。

「訓練」するには外的に「あるべき人間関係」を規定せざるを得ません。友達が多い方が少ないより"良い"のでしょうか?同性の友達が異性の友達より多い方が"健全"なのでしょうか?友達が少なくて、あるいは異性の友達の方が多くて、社会に出てからなんの不都合があるんでしょう。

私は小学校で異性の友達の方が多かったので、教師にたびたび難癖をつけられていました。

今思い出しても腹が立つのは、小学4年生のとき。当時特に仲が良かった女の子と昼休みに教室で仲睦まじくお話していたら、担任がやってきて「昼休みは外で遊びなさい!」とこっぴどく絞られました。おおかた、外で遊ばせれば自ずと男女のグループに別れるとでも思ったのでしょう。

「この人、なんなんだ」と思った私はその日の夜、文部科学省のホームページで学習指導要領を読み込みました。小学4年生ですよ。信じられない執念ですね。どこにも「昼休みは外で遊ぶこと」なんて文言は見つけられませんでした。

なんてことはない。おおかた担任が「子供は外で遊ぶべきだ」という信念を持っていて、型にはまらない私たちを疎ましく思ったのです。

私には、ひどい小児喘息で小学生の頃1回も外で遊べなかった友人がいます。彼は「いけない子」だったのでしょうか?これは極論ですかね。

でも、要は多様性なんです。こういうのが良い子供であるから、こういうのが良い昼休みの過ごし方である。という考えを個々の教師なり、文部科学省なりがしている限り、そこからあぶれる子は確実にいます。

そういう子の個性を潰すのか、伸ばすのか。どちらが正しいと思いますか?

 

学校以外の選択肢を増やしませんか。そろそろ

さて、最初に言った通り、私が主張したいのは「学校以外の選択肢を増やして欲しい」ということです。別に学校が良い人、馴染める人はそれで良いと思います。ただ、上で見てきたような「訓練」は学校以外でもできます。例を上げてみましょうか。

まず、定時出社に定時退社。これは不要だと私は思いますが、学校が必須でなくなれば、自ずと地域の学童やクラブ活動が朝から行われることは想像できます。共働きでなければ親と一緒に起きて家事をする、なんていうのも良いかもしれません。

科目の勉強は最も代替が容易ですよね。公文式なんていうのもありますし、スタディサプリは月980円で小学生全学年向けのコンテンツを揃えています。学校が必須でなくなれば、科目の勉強を教えるYoutuberなんていうのも出てくるかもしれません。

そして友人関係に関しては言わずもがなです。ずっと家にこもっていなければ、友人関係は自ずとできます。習い事でも良いし、クラブ活動でも良い。そしてこれが最も大事なことなのですが、人付き合いが苦手なら無理に友人を作らなくても良いんです。その分いっぱい本を読んで想像力を豊かにするとか、特定の分野の勉強に打ち込むとか、今の時代、そういう人生を誰も否定できないんですから。

 

おわりに - 学校が苦手なあなたへ

この記事は、20歳という大人の入り口にいる筆者が、どちらかというと大人向けに学校について考え直して欲しくて書きました。でももしかしたら、まさに学校に馴染めず悩んでいる人が、これを読んでいるかもしれませんね。

もしあなたが学校に行けずに、あるいは行けてはいるけど何となく悩んでいるなら、あなたと同じ思いを抱えていたひとりの先輩として、一つだけ言えることがあります。

学校に行けなくても、人生はやっていけます

「まったく困らない」というと、少し言い過ぎかもしれません。世の中にはまだ定時出社・定時退社な企業は数多くあるし、なんだかんだ避けられない人付き合いはあるものです。

でも、勘違いしないでください。学校に行けないのはあなたが「学校不適合」だからであって「社会不適合」とか「人間失格」だからではありません。たまたま学校に向いていなかっただけです。

定時に起きるのが苦手なあなたも、人付き合いが苦手なあなたも、または両方苦手な私みたいなあなたも、自分の得意を活かせる生き方はこの先絶対にあります。事実、私は何とかなりすぎるほど何とかなっています。

想像してください。10年後、あるいは100年後。学校という習慣はもはやなくなり、みんなスマホで勉強し、それ以外は自由に過ごすのが当たり前になっている時代を。あなたがもしそんな時代に生まれていたら、自由な時間で何をしたいですか?

もしかしたらその答えが、今あなたがすべきことかもしれません。行きたくもない学校に行くよりもずっと。

*1:言うまでもなく、バンドマン全員を中傷する意図はありません。[Alexandros]大好き。

*2:思わず脚注をつけてしまいましたが、ゆとり教育を受けてきた人を「ゆとり人材」とかいって馬鹿にするのってどうなんでしょう。ゆとりたくてゆとっていたわけじゃないんですけどね。

*3:本格的ないじめとは違って学校で完全に孤立するわけでは無いが、集団から嫌がらせを受けること。「いじめ」も満員電車と同じで、問題を小さく見せる呼び方ですよね。「誹謗中傷」「暴行」「器物損壊」「窃盗」と読み換えると、少しは重大さが伝わるのではないでしょうか。

*4:地学を極めるには英語で文献を読む必要があると言われるかもしれませんね。英語はあくまでひとつの例ですし、その必要に迫られれば彼はやるでしょう。

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