東京の井戸

慶應通信で学ぶ20歳の、学びと読書の記録。

『すべて真夜中の恋人たち』を読んで、選ぶことについて考えた

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こんばんは。東京のひとです。

川上未映子『すべて真夜中の恋人たち』を読みました。

川上さんの本を読むのは初めてでしたが、本当に言葉を操るのが上手い作家さんだなと感じました。

 

印象に残った言葉

「その意味では、信用なんてたいしたことじゃないのよ。ちょっとした都合や風向きで簡単になかったことにできるものなのよ。でもね、信頼っていうのはわたしにとってそうじゃないのよ。信用と信頼は、ちがうの。信頼したぶん、わたしも相手に、何かをちゃんと手渡しているって、そういうふうに感じるの」

聖 すべて真夜中の恋人たち

 

自分の人生において仕事というものをどんなふうにとらえていて、それにたいしてどれだけ敬意を払って、そして努力しているか。あるいは、したか。わたしが信頼するのはそんなふうに自分の仕事とむきあっている人なのよ。

聖 すべて真夜中の恋人たち

 

「すすんで嫌われる必要もないけど、無理に好かれる必要もないじゃない。もちろん好かれるに越したことないんでしょうけど、でも、好かれるために生きてるわけじゃないじゃない」

聖 すべて真夜中の恋人たち

 

「信じられる?人が人に向かって、こんなにも言いたいことがあるなんて」

聖 すべて真夜中の恋人たち

 

「与えられたものを、……どれだけ捨てられるかが大事だと思うんだ」

「家族も家も、親も、学校も、この町もさ、何ひとつ僕が選んだものじゃないんだよ。そんなものばっかりが狭いところに窮屈にせめぎあっていて、何もかもがぞっとするような退屈さの延長にあって、ゆるみきっていて、みんなそろいのお面でもつけてるみたいにぼうっとした顔しててさ、ぞっとするんだよ。…

水野くん すべて真夜中の恋人たち

 

「…いつものわたしは、お酒を飲んでいるんです。お酒を飲んで、それもかなりたくさん飲んで、酔ってからでないと、まともに話もできないような人間なんです。でも今日は飲んでいないんです。…

冬子 すべて真夜中の恋人たち

 

体温を、指さきではなくお腹や背中といったひろさで受けとめることがこんなにもすべてを交換するような気持ちのするものなのかと、何度でも思わずにはいられない

すべて真夜中の恋人たち

 

わたしは自分の意思で何かを選んで、それを実現させたことがあっただろうか。何もなかった。だからわたしは今こうして、ひとりで、ここにいるのだ。

でも、とわたしは思った。それでも目のまえのことを、いつも一生懸命にやってきたのはほんとうじゃないかと、そう思った。自分なりに、与えられたものにたいしては、力を尽くしてやってきたじゃないか。いや、そうじゃない。そうじゃないんだとわたしは思った。わたしはいつもごまかしてきたのだった。目のまえのことをただ言われるままにこなしているだけのことで何かをしているつもりになって、そんなふうに、いまみたいに自分に言い訳をして、自分がこれまでの人生で何もやってこなかったことを、いつだって見ないようにして、ごまかしてきたのだった。 

すべて真夜中の恋人たち

 

小説を人に勧めるとき、あらすじは書かない

まず、私は人に小説をすすめるときあらすじは書かない。言わない。小説にとってほんとうに大切な部分はひとつひとつの言葉だと思うからだ。

私はたまに自分が死んだあとのことを考える。多分ないと思うが、なにかのはずみで偉人として名を残しているかもしれない。少なくとも、稀代の犯罪者として名を残すより偉人として名を残すほうがありそうだぞ、と思うくらいにはうぬぼれているのだ。

もしかしたらWikipediaに長文の記事が残るかもしれない。私の略歴とか業績とか思想とかを、何百人ものワールドワイドなウェブの人びとが議論しながら書き上げるかもしれない。

それでも、私は思うのだ。自分や、自分といっしょに生きた人たちにとって、Wikipediaに載るようなことは全然価値がないのだと。大切なのは、誰と心を通わし、誰となにげない朝を迎え、誰を思って泣き、私が死んだと聞いて誰が泣くかなのだと。

小説は少し、それに似たところがあると思う。小説にとってあらすじとは、本質ではなく前提である。

 

多かれ少なかれ、自分の人生を選びとっている。私も、あなたも

冬子はこの小説の主人公だ。真夜中というタイトルと冬という主人公の名前がなんだか示唆的な気がする。冬子はあるときこう思う。

わたしは自分の意思で何かを選んで、それを実現させたことがあっただろうか。何もなかった。だからわたしは今こうして、ひとりで、ここにいるのだ。

でも、とわたしは思った。それでも目のまえのことを、いつも一生懸命にやってきたのはほんとうじゃないかと、そう思った。自分なりに、与えられたものにたいしては、力を尽くしてやってきたじゃないか。いや、そうじゃない。そうじゃないんだとわたしは思った。わたしはいつもごまかしてきたのだった。目のまえのことをただ言われるままにこなしているだけのことで何かをしているつもりになって、そんなふうに、いまみたいに自分に言い訳をして、自分がこれまでの人生で何もやってこなかったことを、いつだって見ないようにして、ごまかしてきたのだった。 

すべて真夜中の恋人たち

流される、という言いかたがある。流されて二次会に行く、とか。流されて就職した、とか。

ずるい言いかただ、と思う。

時代の流れとか、周囲の考えかたとか、そういうのがあるのは認めます。

でも、あなたには流されないという選択肢もあったでしょう?と思う。

 

石ころが流されるのと、魚が流されるのとでは本質が違う。

魚は流されないことを選べるのだ。

努力が必要だし、面倒だし、力足りずに流されてしまうかもしれないけれど、それでも抵抗することはできる。

抵抗することができるのにしないのは、流されることを選ぶ、ということだ。そこには抵抗するのと同じ重みがある。

 

それに気づいたとき、冬子の中で「言葉が生まれた」のだろう。

 

おすすめできる人

不器用な人、意思疎通が苦手な人はおすすめ。

私はよく人と話すとき、話している間はわりに楽しくやっていても、話し終えたあとで「こう言うべきだったんじゃないか」「気を悪くしたんじゃないか」と悶々とすることがある。そういう人は(私の他にいるのかわからないが)読んでほしい。

そして何より、豊かな感受性と、綺麗でやわらかい言葉に触れたい人におすすめ。

そうした不器用さとある種の潔癖さを書く作家さんでは、こちらもおすすめです。

三秋縋『君の話』感想 - 東京の井戸

 

今週のお題「読書の秋」

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