東京の井戸

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『かがみの弧城』を読んで、中学の頃の繊細な感性を思い出した

辻村深月著かがみの孤城の感想

こんにちは。東京のひとです。

辻村深月『かがみの孤城』を読んで、幼いころの繊細な価値観を思い出した話です。

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印象に残った言葉

チェックの布に包まれたお弁当のリボンをほどく時、お母さんはたぶん、これを包む時には、私がスクールでこれを食べると思っていたんだろうな、と思う。思うと、胸がきゅっとなって、お母さんに謝りたくなってくる。

かがみの孤城

 

まるで、学校が彼女たちのもので、自分たちは、そこを間借りしてるだけ、みたいな。…

同じ年の人間なのに、彼女たちが、学校やクラスの、全部の権利を持っている気がした。

どの部活に入りたいと言える自由、後から同じ部活を希望した子を「らしくないよね、やめたら」と陰で言える権利、どの子がイケてると決めて、自分たちの仲良しに選ぶ権利、担任の先生にアダ名をつける権利、----好きな男の子を真っ先に決めて、恋愛する自由。

かがみの孤城

 

これは、質問じゃなくて、本当に聞きたいわけではなくて、私の願望だ。

気づいてほしい、という願望だ。

なのに言えない。そんなに知ってほしいなら口にすればいいと思うのに、それでもなお、言葉は続きが出てこなかった。この先生なら、きっとちゃんと聞いてくれる、と思えるのに。

大人だからだ、と思う。

だから、言えない。

この人たちは大人で、そして正しすぎる。今、気持ちの全部を預けたくなってしまった喜多嶋先生は、優しくて、きっとそれは誰にでも平等に優しいのだろう。たとえば、それが真田美織だって、困っていて、学校に行けないと訴えたら、その子の性格にかかわらず、優しくするに違いない。今こうやって学校に行けない私に優しいのと、同じように。 

かがみの孤城

 

 「だって、こころちゃんは毎日、闘ってるでしょう?」

かがみの孤城 喜多嶋先生

 

「闘わないで、自分がしたいことだけ考えてみて。もう闘わなくてもいいよ」

かがみの孤城 喜多嶋先生

 

どうしてここまで精緻に、幼いころの感性を書けるのだろう

主人公のこころはいじめが原因で不登校になる。家に引きこもっていたら鏡が光り出し、鏡の中の城で不思議な体験をする。

ものすごくつまらなそう、というのがあらすじを読んだ時の印象だった。実際友人に勧められなかったら読まなかったと思う。

けれど、期待は良い方に裏切られた。

こころの心理描写が本当にうまい。

ファンタジーな設定と、ありきたりなハッピーエンドと、みえみえの伏線回収が見えているのに、なぜこんなに引き込まれるのだろうと、何回思ったことか。

きっと誰しも抱いたことがあるからだと思う。集団から疎外される怖さと悔しさ。学校という世界の大きさと、居場所を求める切実さ。大人は学校なんて「いっときの小さな世界」だと言うけれど、そんな小さな世界にどうしようもなく左右される情けなさ。

筆者はまるでこころ本人が書いているかのような繊細な言葉づかいで、こう言っているのだ。

「あなたは独りじゃない」と。

その言葉が古傷のような思い出を呼び起こし、静かに強く胸を打つのだ。

 

オススメできる人

学校に行けなかった人、行きたくなかった人、学校に行けない、あるいは行きたくないと言う息子や娘がいる人。

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学校不要論 - 東京の井戸

 

 

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